動けない、というか動かないことについて考えていました。
自分のこと。この1年、もちろん仕事でむりやり動かす
ことはあっても、本当の意味で動いてなかった。
発端は、過労だったのかも。半年間週3時間程度の睡眠で
ぶっ通したら、さすがに壊れて、そこからは1cmも動いていない。
可能性っていうことをいつも考えていました。自分に与えられた
全ての可能性をONにしておきたいと思っていた。
誰も書いたことのないデザインをつくること、ディランの歌を
生で目の前で聞くこと、プロ野球の4番になること、
誰かと結婚して子供を作ること、誰かを殺すこと、
自分を殺すこと、月へ行くこと
したいか、したくないかに拘らず全部残しておきたかったんです。

「たが」を全部はずしていたら、平らなテーブルにこぼした
ミルクのようにだらだらと方向を定めず、とりとめなく。

集中するってことが嫌だったのは、せっかくONになっている
(と思っていた)可能性を畳んでしまうような気がして。
でもそれはベクトルを分散させて逆に「ここ」は止まってしまう
ことになるのかもと、ようやく気がついた気もして。

でも集中するなんてやっぱり嫌だ。何かありきたりじゃない?
集中力とかさ。こぼれたミルクも、向こうとこちらをせき止める
岸をつくれば流れはできる。流れる方向に集中するのではなく
向こうとこちらの岸も忘れないでいたいし、流れて来た方位も
知って、そのうえで流れるなら流れればいいと思う。

四方穏便に済ますなんてことはできっこないんだぜ。
って言ったのは誰だったか。
全ての可能性をオンにしておきたい。これがいかに甘く生半可な
ことかに気付くべきだ。いくつかをしっかりオフにしてこそひとつの
可能性はようやく生まれるんじゃないのか。
走ること。生半可への怒り
食うな、デブ

禁止事項13番

確かに全てを少しずつ自分のものにしようとするのは
水平な机の上にミルクをこぼすようなもので、
だらだらと取り留めなく方向も定めず
間を見るなどといって諦めず

石を通すような集中力をしてという方法論から離れに
離れてここ
禁止事項を置くという考え
岸のこちらと向こうに辺をおく
みずはどちらかに流れ出すだろう。
そこに足を浸してみよう
いくつもの向こう岸、いくつものこちらの岸辺

ふんわりのブブン

ふんわりのブブン

凪止 DownUnder

どうして動かないのだろう
騒ぐ海も凪の海も
しかし海の底は動きを止めることなく
妄想は止めどもなく溢れゆらめいて
視界の果てその向こうにまで流れて行く
凪いでいる表層のどこかではなく
薄皮の下から深海に至るそこで向こうで
位置を決めることなんかできないし無意味だ
ではそこに意識的にアクセスするにはどうしたらいいのだろう
そうしなければ動かないような気がしていて
アクセスした先が動き出さないかもしれないことへの
恐怖なのかそのカンが鈍くなっているのか
火の玉のような渦になりそこへ降りてゆけば
そこここのツムジを飲み込んでさらに大きな渦にしたものだ
それともある一点へアクセスすることの違和感か
それは激しく動いているそのものへのアクセスの筈なのに
ピンで一点を止めてしまおうとすることの無意味
だから動く渦になる火の玉になる
むねをはって

心の底では
何時の間にか誰かとセットで生きることを
当たり前のように思い込んでしまっていた
他のどんな行きものを見ても
独りは特別なことではなく
可能性の大部分を占めている
ぼくはその他多勢の蟻のひとつ
ハタラキ蟻のひとつ

デザイン

風に
庭に
奪われる
(感覚)

アイデアとデザイン

その風に
その庭に
奪い奪われる(感覚)らせん
汗も血も水も爪も肉も
目から指から

蒼白

子供が泣いている
塊を吐き出すように
その塊のなかの蒼白
吐き出す行為の蒼白
蒼白のなか
うごいている

アクセラレ

Antithesis
愚鈍を怖れるな

ここにある、空の背骨。
背骨の空。

空を指しモザイクのカンバスをひろげる
fairground

我がなすことは我のみぞ知る

抜けのいいデザイン
アクセラレ
蒼白にある
「すとん」
創造と想像が手を結ぶ時
理想のフォルムと実際のこの手がつながる時

先を行き
向こうの丘の酔うほどのしろい風の中から手を振るヒトに
なってみる
ここにいて脊髄の深い闇にすとんと落とすヒトに
なってみる
何人もいる
ここだけでなく

動きのなかの蒼白
動きを定着する

たね

風のたね 幸せの種
風のたね 幸せの種
かぜをたてるわざ

澄墨にわんと騒ぐ

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臆病なのかな。ヒトのことをこんなに心配してしまうのはどうしてだろう。するとそれと同じくらい縛られたように動けなくなってしまう。その人の所へ行って会うことの怖さを解ってくれるヒトなんていないだろう。だめな人間だと言われるのが落ちだ。いいや。

生きる

ウツクシイハイキルトイッショ

朝夕の美しさ


ソコを美しくするのでなく
ソコの美しさを探すのでもなく
ソコにある美しさを
ただ見つめていく

白いカプセル

霧の中、飲み込んだつもりのカプセル錠がのどに閊えている。白くて、滑らかだったのに。大きなカプセルが、車両置き場の新幹線のように。
それは、身体運動と深い関わりがあるような気がする。なにかと体も頭も動かしていたただ若い頃は起動している方が普通だった。それでもときにはこんがらがってエラーしてしまったことも覚えている。今は停止しているのが普通になってしまった。ただ、このディスクは死んではいない。果てしなく足で体で歩いてみればいい。
いつものように、一つの完成図を、「起動していた感覚」を想像すれば、体の-血の-細胞の-興奮をつれてくる。落とし錠がすとんとはずれて全ての風が波が、助走を始め止まらなくなる。

捧げる

ワタシを捧げる、差し出す気持ち。

風の麓

書いた人、作った人の頭や手になって見たり読むことは、
たとえばある人のそばにいれば、ソレヲ作リタモウタモノに
なることか。

出かける

公園へ出かける心

とどきそうでとどかないモノ

さわれそうでさわれないモノ

永遠の円周率(器1個) 円周率(洗濯船)の永遠

荒んだ気持ち、荒んだってこの漢字なのか。

モノを知らない私。

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